お墓の豆知識

HOME > お墓の豆知識 > 掃苔 正岡子規(1867年10月14日 - 1902年9月19日)

お墓の豆知識

2016/11/04

掃苔 正岡子規(1867年10月14日 - 1902年9月19日)

正岡子規 俳人(1867年10月14日 - 1902年(明治35年)9月19日)

JR山手線の田端駅から南に10分弱歩くと、俳人正岡子規が眠る大龍寺があります。



正門には正岡子規墓所の碑が立っています。



正門から入り、本堂横の墓地入口を入ると大小様々なお墓があります。正岡子規のお墓は墓地の西、周りを竹に覆われた一角にあります。



中央が正岡子規のお墓。隣には母八重の墓と正岡氏累世墓があります。墓の横には平成19年に再建された墓銘碑があります。





墓銘碑には、正岡子規の命日「糸瓜(へちま)忌」に因んで糸瓜と雅号竹ノ里人に因んで竹、そして正岡子規自身が記した墓誌銘が刻まれています。



墓誌銘は、死の四年前明治31年に俳人河東碧梧桐の兄 河東銓(かわひがしせん)に宛てた書簡にあったものです。

正岡常規 又ノ名ハ處之助 又ノ名ハ升 又ノ名ハ子規 又ノ名ハ獺祭書屋主人 又ノ名ハ竹ノ里人 伊豫松山ニ生レ東京根岸ニ住ス 父隼太松山藩御馬廻加番タリ 卒ス 母大原氏ニ養ハル 日本新聞社員タリ 明治三十□年□月□日没ス 享年三十□ 月給四十圓

自身で54種類の雅号をもつという正岡子規の代表的な号と生まれ育ち、父母の名前ともに新聞「日本」の記者であったことが刻まれています。死を悟っていたのか元号の一桁と日付、享年は空欄とし、最後は何故か月給を記しています。

若くして病に罹りながらも新聞「日本」の記者として働き、俳句や短歌の革新運動をおこなったという正岡子規の矜持が「月給四〇圓」にあるのかもしれません。

お墓を探す

サイトコンテンツ

  • 初めてのお客様へ
  • お客様の声
  • お墓の豆知識

初めての墓地・墓石に関するご相談はメモリーストーンへ
まずはお気軽にご連絡ください

初めての墓石購入に不安のある方、どのような墓石を選んだら良いのか迷っている方
墓石の相場価格を知りたい方はメモリーストーンまでご連絡をください。
当社の経験豊富な墓石アドバイザーが分かりやすくご説明致します。

全国対応

インターネットからのお問い合わせ

ページの先頭へ