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2016/12/02

掃苔 永井 荷風(1879年12月3日 - 1959年4月30日)

永井 荷風 小説家(1879年12月3日 - 1959年(昭和34年)4月30日)

小説家永井荷風のお墓は父永井禾原(かげん)が設けた雑司ヶ谷霊園の墓域に建立されています。



3つ並ぶ墓石の真ん中の墓石には「永井荷風墓」と刻まれている永井荷風のお墓。



左には漢詩人であった父親の永井禾原のお墓がありますが、風化のため「禾」と「生」の文字がかろうじて残っている状態です。



一説には関東大震災の際に倒れ碑面が破損したと言われていますが、真意はわかっていません。

墓石の裏にはそれぞれ、本名と没年月日、享年が刻まれています。

荷風「永井壯吉 昭和三十四年四月三十日卒 享年七十九」
禾原「永井久一郎 尾張 大正二年一月二日卒 享年六十二」

「断腸亭日乗」によると、荷風は父禾原の命日である正月頃に、雑司ヶ谷霊園に何度も墓参りに訪れていたそうです。

また「断腸亭日乗」には自らのお墓の取扱についても記述があります。

余死するの時、後人もし余が墓など建てむと思はゞ、この浄閑寺の塋域娼妓の墓乱れ倒れたる間を選びて一片の石を建てよ。石の高さ五尺を超ゆべからず、名は荷風散人墓の五字を以て足れりとすべし。(断腸亭日乗 昭和12年6月22日)

父の横に葬られたため荷風の願いはかなえられませんでしたが、浄閑寺には荷風の詩碑と筆塚が建てられています。



詩碑と筆塚は建築家谷口吉郎設計で、荷風の死から四年後の命日昭和38年4月30日に建立されました。



詩碑には「偏奇舘吟草」の中の「震災」という詩が刻まれており、横には谷崎潤一郎はじめ後輩42人からなる荷風碑建立委員会によって、建立の趣意が刻まれています。



詩碑の横には、荷風が記した五尺を超えるなとの教えより遥かに小さな筆塚が建てられています。



詩碑の前には、荷風が吉原帰りに手を合わせた新吉原総霊塔があります。

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